蒸気機関車 |
羅須地人鉄道協会
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6号機 |
3号機の同型機。3号機と同様、楠木製作所製で永らく台湾の基隆(キールン)炭坑にて使用されていましたが、同線が廃止になった昭和53年(1978年)、羅須地人鉄道協会の手で里帰りしました。その後東洋活性白土専用線で3号機と共に活躍してきましたが、ポートピア貸し出し後の整備不良の結果、走り装置に重大な損傷をきたし、以降走り装置が取り外されたままの状態が長く続きました。 しかし、3号機復活後、6号機のレストアが羅須地人鉄道協会により着手され、近い将来3号機と同様完全復活する予定で、現在は台枠、ボイラー、車輪などバラバラの状態にあります。 かつて、糸魚川時代にはなかなか圧力が上がらない、煙が運転室に逆流してくる、そのうえボイラー給水装置がときどき不調になるという、機関士泣かせの機関車でした。 平成10年(1998年)暮れから徹底的なレストア作業が開始され、平成12年(2000年)5月、17年ぶりの奇跡の復活を遂げました。その詳細はこちら。
その後、6月に富山県で行われた「世界トロッコサミット」にも参加し、多くの皆さんにその勇姿をごらんいただきました。その詳細はこちら。 いまでは3号機とともにまきば線の主力機関車として活躍しています。 昭和16年楠木製作所製。使用圧力6気圧。整備重量3.5トン。 |
1号機(旧糸魚川1号機) |
かつての新潟県糸魚川の東洋活性白土専用線の1号機。同社が戦後まもなく専用線敷設した際、レールなどの資材と共に、不二越商事から購入されたという伝説が残されています。しかし製造者も製造年もすべて不明のなぞの機関車。 しかも入線してから大して使用される事もなく協三の2号機に本務機の座を明け渡し、機関庫の筋交いの奥で惰眠をむさぼっていました。その使われなくなった理由として「致命的な欠陥」があった、と伝説は伝えていますが、当時の関係者もほとんどがお亡くなりになってしまったいまとなっては、どんな欠陥だったのかもなぞのままです。 東洋活性白土専用線廃止以後、糸魚川市内の建設会社で大切に保存されていましたが、平成11年(1999年)4月、羅須地人鉄道協会の元に嫁いできました。 翌平成12年(2000年)より動態保存のために、徹底したレストアが開始されましたが、構造的にヘンなボイラーの火室、何度も溶接しなおした配管や、運転台のなぞの繋ぎ目、やたらと貧弱なブレーキシューなどさまざまな謎や欠陥が発見されています。 平成13年には台枠・動輪周りのレストアも終了しましたが、肝心のボイラーが老朽化などであちこちに不具合があり、専門のボイラー業者さんに修理をお願いする予定です。しかし多額の費用がかかることが予想され、現在ボイラーまわり以外のレストア作業を続けながら、なるべく安く上げる方法を模索中です。 なお、それに関連して募金活動を開始しました。ご理解いただける方のご協力をお願いいたします。 製造年、製造者共不明。整備重量たぶん8トン前後。
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羅須地人鉄道協会
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